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社長ブログ

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マウンテック 私が思うこと

今年で、創業70周年を迎えました。

みなさまあけましておめでとうございます。

今年は2018年、平成では30年の節目の年となりました。
そして、マウンテックは今年の5月に創業70年を迎えることとなります。
これに 際しまして、これまで、祖父が事業を起こした創業から合資会社山田製作所、そして株式会社マウンテックとなるまでにお支えいただいたお客様、取引先、社員とそのOBの方々、また様々な形でお力添えをいただいた多くの方々に対し心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

戦後3年目となる1948年(昭和23年)、創業者である山田才市(祖父)は、妻のあや子(祖母)とともに昭和区白金町(高辻の辺り)にて板金屋を始めました。この年は、現会長の山田賢造(父)が生まれた年でもありました。根っからの職人気質で腕のよかった祖父は作業を黙々とこなし、一方で営業は専ら祖母が行っていました。創業当初、祖母は赤ん坊であった父を背負いながら営業活動をしていたといいます。高度経済成長の波にも乗り、丁稚奉公の方々を受け入れながら着々と事業を広げていきました。

そこから11年目の1959年(昭和34年)には、中川区的場町(荒子観音の辺り)へと移転し、工場の拡張を行い、機械なども増やしていきました。その時には社員寮なども併設し、東北や九州など集団就職の方々を受け入れ順調に社員数も増えていきました。

そして、さらにそこから25年目の1984年(昭和59年)に、更なる工場の拡大をするために、今の津島市中一色町へと移転してきました。祖父の死後、父が社長を譲り受けてからもバブルの波にも乗り、仕事もたくさんいただけるようになり、さらに社員数も増えて行きました。

ここまでの道のりは、必ずしも緩やかではありませんでしたが、なんとか今年70年を迎えられることとなりました。この歳月を思おうと、これまで多くの方々のお支えがあったからこそ、迎えられたことに感謝の気持ちばかりであります。2016年に3代目を拝命してからこれまでの短い期間ではありますが、目まぐるしく変化する社会の中においては、時代に合わせ変化し続けることの大切さを強く感じております。社員、そして協力いただける方々と共に更なる成長を目指して走り続けてまいります。基本理念にも掲げた「皆様に喜ばれる最高のカタチ」を提供し続けていくことで、これからもより一層社会へ貢献してまいりたいと思います。皆様におかれましては、これまでと変わらずお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

ありがとうございました。

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